「和顔愛語」(わげんあいご)の意味にはとてつもない力を秘めている

「和顔愛語」とは、和やかな笑顔と思いやりのある言葉をかけるということです

今や世界は分断の様相を見せる非難合戦のような世界になっています。

この和顔愛語は、そんな世界にとっては必要なものではないかと思います。

本ブログをそんな思いを綴りました

「和顔愛語」とは

まずは和顔ってどんな顔なの?

わかりやすくいうと和やかな顔、笑顔です

口角が上がっていて目元は下がっている

仏教に眼施(げんせ)という教えがあります。

これは優しい温かいまなざしを向けるという意味で、人に微笑を与えることで、その表情を見た人はほっとする感情がわきます。

これと同じですよね

笑顔は人を安心させます。作り笑いでなく、自然に出る優しい気持ちからのほほえみです。

いつも和やかな表情をしている人は、周囲を安心させます。

逆を考えてみたらどうでしょう。

職場の上司が朝から不機嫌でイライラしている表情をして事務所フロアから、部下を睨んでいたら。

その職場の空気はピリピリして、緊張感が高まり、仕事にも集中できなくなりますよね。

自分の表情は自分だけのものではないのです。あなたの表情は周りに影響を与えます。

自分の気持ちがそうだからといって、自分勝手に不機嫌な表情をしているのは、ある意味、公害をまき散らすようなものだと感じています。

斎藤一人さんの本で「上気元の魔法」があります、その中で一人さんは最高のボランティアは「上気元」でいることと語っておられます。

人は感情のままに生きていると「不安」が募ってくる生き物なんです、だから意思をもって

上気元にするんだと話されています。

愛語も意思をもって言葉にすることが大切だと思っています。感情のままで言葉を発すると、相手を傷つけることもあります。

ついついのの一言に注意

愛語ではなくついつい相手を不機嫌にしたり、傷付けたり、不信感を抱かせたりすることってあります。

その時、相手のことを思っての一言のつもりでも意外と相手にとっては余計なお世話にならないか、注意することが大切です。

気づかないうちに相手に優位に立とうする気持ちが動いたり、自分が言いたいから言ってしまった、とならないように。

自分を優先してではなく、「自分がこう言われたらどんな気持ちになるだろうか」と相手の気持ちを想像することが必要です。

そんなことが思いやる心を育てて行くのだと思います。

どのような使い方があるの?

相手のことを気遣う言葉としては

「お変わりありませんか・・」

「どうかお大事に・・」

「お気をつけて」

「どうかお達者で」

「いかがですか・・・」

「よくやったね!」

「すばらしいね!」

「おめでとう」

「よかったね~」

「たいへんでしたね」

相手の気持ちを察して相手のために何ができるかを自分に問う。

相手は言葉にしないかもしれない、それは態度や表情、身体全体でその気持ちを表すこともあります。気持ちを言葉にできない場合もあるのです。

その気持ちを汲み取ることも大切です。

相手の気持ちによりそうこと、共感することが大事。気持ちを言葉にせずに、事象で話す場合もあります。

こんなことがあった、あんなことがあったと発生した事柄をとつとつと話をするかもしれません。

その話の中には気持ちが隠れています。

その気持ちを汲み取り、言葉にして愛語を添える

「辛かったんですね・・・」

「たいへん ご苦労されてきたんですね」

「とっても努力されたんですね」

「苦しい思いをされたんですね・・・」

大事なことは相手の気持ちを重んじて、相手の気持ちを考えることです。

大切なのは、相手の気持ちに寄りそう思いやりです、そこでは相手も自分にも心が優しい状態となると思っています。

まとめ

人と会話をするときに、つい自分の話をしてしまって主語を自分に置き換えてしまいがちです。

人との気持ちのよい会話は優しい気持ちで相手を思いやって言葉を発するようにしたいものです。

今回は愛語という言葉から人を思いやる気持ちを言葉にすることを書かせていただきました。

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