「食は心身を養う根本」とうたう水野南北を語る

水野南北という人をご存知でしょうか。

1760年代江戸時代に人相などで名を残した方です、人相以外にも食と心身について語った人でもありました。

もう一人江戸時代に体や食について語った方がいらっしゃいます。貝原益軒という方で『養生訓』という書物が有名です。

貝原益軒は水野南北の約100年前の方です。

水野南北は貝原益軒より話は鋭く、言葉がきつめという感じです。お二人とも体、心などの作用を書き記しております。

一番好きなフレーズを現在風に解釈すると以下のような感じではないかと思っています。

人間の心と体を家屋に置き換えて話をしています。

家に例えると、体は家屋、心は家の主

家主がどうしたい、こんな家にしたいと思うことから、家の素材や部屋づくり、土台、など細部が整っていきますよね。

例え、家の構造を支える素材が悪くても、家はすぐには倒壊しません。
嵐が来ても、台風が来てもある程度は耐えてきます。

昔の古い家は家屋の柱、支柱が大変太くがっしりしていて100年はゆうに耐えています。私たちの体はどんな家の構造をしているのでしょうか。

古くなってくると、家も体もどこか、軋み、歪み、などの痛みが出てきます。

その時、その痛みをどのように補修しますか。
きちんとした手当をするか、放置をするか。
放置は最悪の手段です.痛みはどんどん悪化し、早期に倒壊の恐れが訪れます。

しかし、りっぱな家の作りだけが長持ちするとは限りません。

家には柱、壁、地盤、組み立て方など大変多くのものが組み合わさって出来上がっています。

人間の体も同じだと思うんです、単に栄養があるだけではいけません、過剰に取ることもマイナス影響があります。

その体の家主は、どのようにその体を運営するかにもよります。
運営とは守っていくかだと考えています。

不摂生な生活をして早く痛めるのか、大切に扱い、体にとって優しい対応を取っていくのか、永い年月、その体を使わせてもらうのです、対応いかんでどうとでも変化します。

そう考えてみると、健康をないがしろにして好きなように生きるのは誤っていると私は思います。

好きなものを好きな時に食べて、短い人生もでいい。それはなんだかカッコいい話に聞こえますが、実際にカッコよくは死ぬことはなかなかできないものだと思っています。

主なき家屋はどんどん落ちぶれた家屋になります。

雨漏りを放っておくと、屋根からの雨水は徐々に柱を伝わり全体へ回ります。また、湿気が家屋中に回り至るところが腐ってきます。

そして数年経過すると屋根が落ちるという事態に陥ります。

そうならないためにも、日ごろから健康には注意を払い生きてこと死を迎い入れることになると思っています。

どんなに健康に気遣っても病になる時はなるでしょう。その時は仕方ありません。受け入れるしかないのです。

今回は水野南北の話から書かせていただきました。

ありがとうございます。

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