90歳の母を失った
介護施設のお世話になり7~8年は過ぎていた
母親を施設に移ってもらったのは
実家で一人で過ごさせるのが不安で仕方なかったからだ
古い家で雨漏りもし少し認知が進行している
母を一人にしていてはよくないと
地域ケアマネージャーさんに相談し移ってもらった
大きな切っ掛けは大雪で屋根に穴が開いて
雨漏りどころか雨が直接2階の部屋へ漏れだし
解体を決意したからだ
家の雨漏りを放置しておくと
とんでもないことになることを
痛感したからだ
雨水が壁、柱を伝い家中に周り
屋根の穴の開いた反対側の道路側の天井が
崩落し道路に落ちた
これをさらに放置したら通行する人に
怪我でもさせたら大変だと思ったからだ
解体を決意した
同時に住む家がなくなる母を冷暖房のある
施設に入ってもらったほうが安心だからだ
入所して母は楽しそうだった
夏は涼しく冬も温かい
施設の中を散歩もできる
お友達や話し相手もでき楽しそうだった
「お陰様で快適だ」という母を見て安堵していた
母の本心だったのかはわからない
でも子供である自分に迷惑をかけたくないという
思いがあったことは間違いないと思っている
いつ会いにいっても笑顔で迎えてくれて
ゲラゲラ笑う母に安心していた
よく昼食を食べに外出したし
桜の時期には花見に兼六園にもいった
映画館へも足を運んだ
80歳を超えた母と二人で映画を観る
自分には違和感はなかった
幼い頃、母は自分を連れて
電車に乗って映画へ連れて行ってくれた
そのころの思いがいつも自分にあった
私が映画好きなのもそんな母親の影響が大きい
小学4年生のころだったか
チャップリンのモダンタイムスや
チャールトン・ヘストンの十戎という
当時の超大作映画も観た
平和な日々が続いたのは確かです
私も母の心配ごとはなくなり
元気に過ごしていることを確信していたから
そこへ
2020年新型コロナウイルス感染がやってきた
当然まったく会えなくなった
そして
2023年春3月 心不全で緊急搬送をされた
約一か月の入院で退院して元に施設に戻ることができた
会いに行ったときには大きなショックだった
母の表情が消えていた
自分の言うことも理解していないようだった
まだかろうじて私の名前がわかったようだが
表情が能面のようになっていた
その2か月後母は90歳を迎えた
その矢先、2回目の心不全と誤嚥性肺炎を起こす
緊急搬送された
当日の22時に息を引き取った
安らかな死に顔だった
一時は呼吸ができず苦しそうだったが
穏やかな呼吸になってきて止まった
父の死から11年目にあたる
父は7月24日に旅立ったので同じ月だ
たくさんの思い出が蘇る
小さい頃は悲しいこともあった
楽しいことももちろんあった
母を泣かせてしまったこともあったし
困らせたことなどは数えきれない
でも母はいつも笑っていた
きつく叱られた記憶はない
怒る前に母が悲しんでいた
父が健在であったころ
元々強力な亭主関白に高齢者特有に怒りっぽさが
拍車をかけていた
気にいらないことは
母に当たり
母は父を恐ろしく思い
一時老人性うつを発症した
父から距離をおこうと
精神科病院にも半年間隔離したこともあった
書き出したら湧き出てくる母の思い出・・・
安らかな死に顔が救いだ
先に旅立っている父と姉が向けてくれているだろう
90年の生涯
どんな思いの人生だったんだろう
そんなことを振り返らずにはいられない
いえることは「ありがとう」
ここまで育ててくれたこと
心のよりどころになってくれていたこと
ほんとうに本当にありがとう
また
別の世界で魂が近づくことがあると信じている
安らかにお休みください
90年お疲れ様でした