自分の価値観を人に押し付けていない?
私たちは人との会話の中で押し付けがましい話をしてしまうことがあります。それは自分の価値観を無意識に押し付けてしまっていることです。
例えば、40歳近い女性に対して結婚してる?
の質問をした時、質問を受けた女性はどのように感じるでしょうか?
結婚している方ならば、ハイしてますよと即座に答えるでしょう。
独身の女性にとっては非常に複雑な思いが走ると思うのです。
では男性においてはどうでしょう?
意外と男性もバツが悪そうにまだ独身なんですよと答えてしまうでしょう。
これは結婚して当たり前だという価値観を自分自身が持ってしまっていて、人に対してそれを強要するかのごとくの言葉になってしまう可能性があるのです。
この言葉を発する人は、何気ない質問の意味で発したかもしれません。
ただ、言葉を受ける側は単なる質問という言葉では受け止めない可能性もあるのです。
この無意識に発する言葉というのは非常に怖いものがあります。
自分の価値観を押し付けていないかということに注意しないといけません。
例に出した結婚ということを1つ捉えても、結婚していないとおかしいんじゃないのとか、早く結婚しないといけないよとか、質問を受けた人は何かしら強要されたような感覚を受けるかもしれません。
自分の考えや自分の価値観を人に押し付けることのない話し方を工夫しないといけないと思います。「べき」として強要することをないように決めつけるような意味合いの言葉は注意して発するようにしないといけないと。
今の社会では、ジェンダーレスであり、多様性の時代でもあります、結婚していようがいまいが、その人の価値観で生きていきやす社会となってきています。
人にとって居心地の良いということは、自分にとって自分の価値観で、生き生きと生きていけることなのだと思います。
仏陀の言葉の中に「いろいろ考えて作り上げられてきた様々な教え、または価値観というものがありますが、それらを重んじて自分がそれを信じてしまっているとその考えが優れており、それ以外は優れていない劣っている」というふうに感じてしまうという言葉があります。
自分の考えが最上だと決めて硬く握り締めていた場合、慢心の心が無意識に出てしまう。あまり自分の価値観や考えを硬くに握りしめず、人の意見をも取り入れるおおらかさを持っていきたいものです。それが生きやすい社会を、世の中を作っていくのではないでしょうか。