心理学のアドラーは「嫌われる勇気」という書籍から一躍有名になりました。
発売されてからも売れ続けている書籍ようです。
アドラーは人間の悩みは「人間関係にある」と主張しています。
アドラーは心理学の三大巨頭といわれた人で、フロイト、ユングという並ぶ有名な心理学の人です。
アドラーの生きた時代は1870~1937年の間で67年の生涯を過ごしています。
有名になった「嫌われる勇気」のベストセラー以降、たくさんのアドラー書籍が販売され人間関係といえばアドラー心理学という状態ではないかと私は思っています。
アドラーとブッタ
今回はこの心理学の巨匠アドラーと2600年前に生誕したブッタ、つまり釈迦のことを一緒に考えてみたいと思います。
ブッタの生誕は紀元564年(この時期には諸説があります)
ちなみに世界3大宗教のキリストの生誕は紀元前4年頃、イスラム教のマホメットは西暦571年。この流れを見るとブッタに始まり約500年に一度、後世に影響を及ぼす人が出現していることになります。
ブッタはインドで生まれた方で、当時、王様の王子として誕生されています。
そして家を出て、35歳で悟りを得、亡くなる80歳までの間にその教えを伝えてきています。その弟子たちが仏教として経典に残しました。その数はなんと7,000巻あまりになるというものです。
その教えが中国へ伝わり、のちに日本にも伝わっています。
しかし、現在の日本の仏教は亡くなった時、またはその死後数年の法要にしか関わりを持っていません。だから、仏教イコール死んだ人のこととなっているのが実情だと思っています。
その仏教も日本に伝わり、学んだ方の解釈により多くの宗派に分かれており、何が真のブッタの教えだったかさえわかりません。
だから海外から見たら日本は無宗教の国と揶揄されることもあると思います。
もし外国人から仏教とは何?ですかと聞かれたら、あなたは答えられますか?
多くの方が答えられないと私は思います。
アドラーのいう人間関係を良好にすることとは
共同体感覚を持つことと示しています
共同体感覚?聞いてすぐには理解が難しいですね。
共同体感覚を図式化したものです
この3つの要素を兼ねたものが共同体感覚といいます
一つ目の
◎自己受容とは
自分を100%受け入れることです。
できないことがあっても、それをそのまま受け入れる。
例えば、テストを受けて100点ではなく60点だった。自分は何と能力が低いんだと、ダメな奴だと思うのではなく「60点か~、100点にするのはどうしようかな」と思うこと。
これは自分に悲観するのではなく、そのままを受け入れ、では次にどうするかを考えて行動する。
さらに勉学に進むのもいいし、その道をきっぱり諦め、別の道に進むのもいい。
「変えられるもの」「変えられないもの」を見極めることとしています。
似たような言葉に自己肯定があります。
自己肯定的に先ほどの例にとると、「60点か~今回は運が悪かった、私は100点がとれるはずだ」「私はやれるんだ、できるんだ」と自分を鼓舞します。
悪くはないですが、かなり辛いですね。心が疲弊するかもしれません。
◎他者信頼
ここで信頼となっています。「信用」ではありません。
この違いは何でしょう?
信用とは、条件を付けることです。
わかりやすいのは銀行ですね。〇〇信用金庫とはか、お金を融資しますが返済してくださいねと信用してお金を貸し出します。
図書館でも本を貸し出しますが、借りる人には返還日を決めて返してもらうという条件付きで信用し貸出しします。
では信頼とは、その逆の無条件です。
母親が自分が生んだ子供の世話をする。これには条件などありませんね。(場合によっては自分の老後を世話してもらいたい、とかあるかもしれません)
無償で提供することをいいます。何も見返りを求めないこと、それが信頼です。
何かを提供したが裏切られるかもしれません、提供したあなたにとって、予想していなかったことをしてくるかもしれません。それでも提供をすることが信頼です。
最後に
◎他者貢献
これは「わたしは誰かの役にたっている」と思うことを他者へしてあげることです。そこに自己犠牲という考えは不要です。自分を犠牲にまですることが他者貢献ではありません。
ここの部分は深い心理の話です。なんだか聴き方によっては自分は辛い思いをしても他者へ貢献しないといけないと聴こえる人もいるでしょう。
自己犠牲とは何を指すかを明確にしないと、なんだかわからないけど、自分が辛い思いをしたくないとほとんどの人が思うものです、それは当たり前ですね。
どんな他者貢献ができるのかを考える必要があります。
アドラーは他者貢献とは、目に見える貢献でなくとも構わないとしています。その貢献したことが役立ったと思うのは、貢献したあなたではなく、貢献してもらった他者の判断になるからです。
よって貢献したことの承認が必要なことではなく、貢献する行為そのものが大事なのです。
貢献することが幸福感を生みだすとしています。
ここからはブッタの教えと関連する
マトリックスを見てください
ピンク色の部分の人が有用な人とされる部分です
つまり共同体感覚が高く、行動をしている人のゾーンです
ブッタはこの行動をある言葉で言い表しています
無財の七施
- 眼施(がんせ)
- 和顔悦色施(わがんえつしょくせ)
- 言辞施(ごんじせ)
- 身施(しんせ)
- 心施(しんせ)
- 床座施(しょうざせ)
- 房舎施(ぼうしゃせ)
ブッタの教えにある財をかけずにできる他者貢献です
一つずつ見ていきます
まずは眼施です
優しい温かい眼差しで他者へ視線を贈ることです
目線ほど心を映し出すものはありません、言葉でごまかせても目はごまかせません。
本当に優しい眼差しを人へ届けていることが大切です
和顔悦色施
優しい笑顔を人へ贈っていますか。
怖い顔して人を見てるのは威圧感を与えることになります。怒っている顔はあなたから人を遠ざけます。
「自分の顔は生まれつきだ!」という方もいますが、そんなことはありません。
ご自分の顔はご自分が作り上げた結果です。いつも怒っているとそんな顔になります。
笑顔のトレーニングをした方がいいですよ。
言辞施
優しい言葉をかけていますか。
新入社員のころ習ったことにオアシス運動というのがありました。
オ・・・おはようございます。
ア・・・ありがとうございます。
シ・・・失礼いたしました。
ス・・・・すみません。
これでなくても他者には優しい言葉をかけて上げることです。
厳しい口調で人は動きません。表面的に権威をちらつかせて従わせても、それは何もかわりません。
逆に厳しいことをいわれた他者は一生心に傷を負うこともあるのです。(言った本人はすぐに忘れてしまう)
身施
ボランティア活動といってもいいでしょう。
心施
あなたが奥様、ご主人からごはんを作ってもらったら「ありがとう」「美味しいよ」と声を出していますか。
第三者へは優しい言葉をかけていても、身近な人へかけていない場合も良く聴く話です。身近な人にこそ声を出すことが必要です。
してもらうことが当たり前になっているということは「感謝の心」を失っていることになります。
ブッタはこの世で最も不幸な人は「感謝」の心がない人と述べています。
床座施
ある程度の地位を確保した人は、その地位に固執し離れよう、降りようとはしないものです。権威を優位にしていたいという自分の欲を手放せません。後輩へ譲る、または人へ譲ることも施しなのです。
房舎施
求めてくる人があれば宿を提供したり、お休みをしてもらったりする。または食事を提供するなどの「おもてなし」をいいます。これは「OMOTENASHI」と日本語で有名になっていることです。
まとめ
アドラーの述べる話はブッタにいう話と同義語にように聞こえますね。
それも人の真理だからです。
時代は変わっても人はそんなに変化しません。
人類が誕生して20万年。この話はまだ2600年ほどしか経過していないのです。文明が発展してITがどんなに進歩しても人間、そのものはそんなに急激に変化はしないのです。変化するとしても何万年という長い時間で進化していくのではないかと考えられています。
人間関係をよくする真理はこのあたりにあるのだと私も思っています。