TVから流れる情報は気持ちを下げることが多い昨今だが良寛さんの愛語を読んで世界から争いがなくなる秘訣を見た

イスラエルとハマスとの衝突からどのくらい経過しただろうか。このニュースの頻度が最大限に高いように思う。中東という地域では今後の世界経済に悪影響をもたらすことが多い。

まだまだ地球の化石燃料の石油に依存する人にとってはなくてはならない地域です。

子供や女性が泣き叫ぶ音が毎日TVから流れる片や民放TV番組ではバカみたいに笑うくだらない(私個人の主観です)番組が放映されている。

爆撃、子供が女性が人々が死ぬシーンはまるで映画のシーンかのように感じで見てしまう。映画のシーンが終わればお笑いの番組に戻る。

他人事に感じている私たち、否、私も含め、こんなことでいいんのか?と考えてしまいます。

そこで出会ったのが良寛さんの愛語です。

良寛さんをご存じでしょうか?

良寛さんは260年前の江戸時代の人です、今の新潟県長岡市の隣の出雲崎町というところの生まれで18歳に出家し漕洞宗の禅寺で修行をしていったようです。

良寛さんはどこにも属さず、何も持たず、自然と子どもたちを愛し、あるがままに生きた人といえます。

良寛さんの愛語の元は漕洞宗の宗祖道元禅師の著書の「正法眼蔵」にあるようです。

良寛さんの残された歌は1600首、漢詩は600首残されました。そんなたくさんの中のこの一説をご紹介します。

「怨敵を降伏し 君子を和睦ならしむること 愛語を本とするなり」

この文章の超訳は「愛語は魔法のような力をもっています。激しく争っていた敵同士の二人、その荒ぶる心の波を穏やかに沈め、友達同士にしてしまうのが愛語です」

ここの説を読んでイスラエルとハマス、ウクライナとロシアの争いを想像してしまいました。

世界での紛争はこの2か所だけではありません、至るところであります。土地の所有を争い、経済的優位に、戦略的優位に立ちたいというものから争いが起こっています。

人間の歴史を見てもこのような争いは終わりがありません。世代を超えて争い続けるのが人間の歴史です。

良寛さんの述べる愛語はお釈迦様、道元禅師の流れを汲んでいるものと思います。愛語は慈悲の心から生まれています。それは命をいつくしむ心のこと、

命とは人だけではありません、目に見えないもの、虫、花、海、雲、雨、雪など無数の命と共に生きているこの世はなりたっているといいます。

その命の絆で結ばれていて助けたり助けられたりして生きている、生かされている。という考えが流れています。

愛語とは

愛語、それは相手を優しく思いやる言葉という意味です。

言葉は心の鏡です。

心模様を正直に映し出します。

相手を憎んだり、恨んだり、ねたんだりする心からは憎語が生まれ、感情にまかせた荒々しい心から出る言葉は乱語となる。

人が争うのは次にあげます煩悩によることが要因であると思います。

欲する心、妨げられることでの怒り、嫉み妬みが人が争いの世界に引きずり込みます。

その煩悩について記述をしていきたいと思います。

三毒の煩悩

煩悩とは、大晦日に聴くと思いますが108の鐘の音ですね。煩悩とは人を煩わせ悩ますものであり苦しみをもたらせるものです。全部で108あるとされてその数を鐘を鳴らしています。

その煩悩の中でも最大の三毒といわれるものがあります。その三毒が一番恐ろしい人間の煩悩で「貪欲・瞋恚・愚痴」からなります。

人間はどんな状態でも煩悩から離れることはできません、死ぬまで人は煩悩を持ったまま生きていきます、覚りを開いた人も煩悩が消える訳ではないのです。だからこそ、人間は苦しむのです。その三毒をご紹介します。

貪欲(とんよく)

なければ欲しいし有ってももっと欲しくなると際限なく求める欲の心をいいます。

お金も名誉ももっともっとと求めて苦しむ人の欲です。

瞋恚(しんい)

人は自分の欲を求める過程で邪魔されたり、妨げられるとかッとなって腹が立つ怒りの心をいいます。

子供でも自分のおもちゃを取り上げられると怒ります。自分の好きな人に告白しても振り向いてくれないとカッとして犯罪を犯したりもします。日常はこの瞋恚に満ちている気がします。

愚痴(ぐち)

これは普段、口にする嘆く言葉ではありません。怨みや妬み、嫉みのことをいいます。

人を恨んだり、人がうまくやっているのを妬む心をいいます。

これらの三毒や煩悩の塊が故の人間ですから、正しい生き方を求めていかなければならないのです。

良寛さんの生き方

良寛さんは禅を学び子供たちを交わり托鉢をし親しい人と交わり詩歌を作っていかれました。

良寛さんの生きざまを現わす言葉があります

「何もかも自然で・・・。生老病死はすべての生きとし生けるものにとって自然である。つまりそれが真理なのです。死を避けようとして無理な苦闘をするのではなく、受け入れる。それが災難を逃れる唯一の道で死ぬときは死ねばよいのである」

言葉について戒めとして「戒語」として残されており九十カ条として残っている。

  • 憎き心をもって人を叱る、客の前で人を叱る
  • 人のかくすことを、わからさまに言う
  • 悪しきと知りながら言い通す
  • 手柄話、自慢話、侮ること、鼻であしらうこと、おのが素性の高さを人に語る、物知り風にいう、学者草木話、俺がこうしたこうした

などのような自分を戒めることを自分に厳しく生きていた良寛さん

この戒語の一部を見ても自分の顔が赤らんでしまう。まさに普段自分がやってしまっていることではなかろうかと・・・。

まとめ

お釈迦様から始まった仏教の教えは慈悲の心にあります。慈悲の心をもって言葉を発し煩悩をあらわにしないように正しく生きることを常にし人を交わることが大事なことだと思っています。

世界で起こる紛争が一刻も早く治まり、平穏な日が訪れること願いたいと思います。

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