「幸せをありがとう」田原米子さんの生き方に学ぶ

田原米子さんという方をご存じでしょうか。

かなり以前に買った本ですが読み返してみました。

人生に絶望し自ら電車に飛び込自殺をしたが、手足を失いながらも命を取り留めた方のお話です。

背景

昭和30年のころのお話。

田原米子さんは17歳の女子高校生でした。

実母が中学2年の時に亡くなって、そのことをきっかけに家に帰るのが嫌になり、夜遊びしたりして心の寂しさを癒そうとしていました。しかし、米子は気持ちをわかってくれる人がいないと、いつも満たされない心でいたそうです。

その寂しい気持ちから、「自分は何のために生きているのだろう」と考えるようになっていったようです。

新宿の人込みにいても自分は一人でいるような孤立感があり、フラフラと江の島行きの電車に乗ったそうです。

心の中で「生きていて何になるの?」が連呼されていたようです。

新宿駅のホームにただずんでいたところホームに電車が入ってきました、米子さんはパッと電車に飛び込んだんです。

命をつないだ

六日間の眠りから目を覚ました米子さん。

左手、両足を無くしていました。残った右手も薬指、小指がありませんでした。

米子さんは自らの体に絶望し死ばかり考えていたようです。

同級生がお見舞いに来ても、嫉み、妬みの心からか同級生に冷たい態度をとってしまいます。同級生に励まされても、私がいなくなってちょうどよかったのでは?というようなすさんだ心になっていったようです。

出会い

年月が流れ春のなった頃、宣教師と、その彼に付き添う通訳の男性の方がやってきました。

米子さんは死しか考えていない自分には神の教えなど必要ないと拒絶をしてしまいます。

ある時、宣教師と通訳の田原青年が再び病室を訪れました。

二人は大きなカゴを持ってきたのです、それはインコでした。

最初はうるさいと思っていた米子さんでしたが、ピーピーとなくインコが次第に可愛く思えてきたのです。

そして次第に宣教師の話に耳を傾けるようになりイエス・キリストに救いを求めるようになっていきます。

命は神様にいただいたもの

米子さんは命が神様にいただいたものなんだと考えるようになっていきます。

3本しかない指も3本あれば文字は書けると思うようになっていきます。

そして義足を付けることにつながっていきます。

さらに宣教師の通訳の田原青年より愛の告白を受けます。

米子さんは愛の告白から2年後に結婚をして、2人の子供に恵まれます。

米子さんは講演依頼を受けて自分の辛かった経験、助かった命のことを話をします。

講演テーマは「生きるよろこび、生命のとうとさ」について教会、学校、集会所などさまざまな方へ体験談を話をされたようです。

まとめ

米子さんの生きた時代から月日は流れましたが、米子さんのように自殺をする方が少なくありません。

死を選択する方は要因はさまざまでしょうが、米子さんのように寂しい気持ち、孤独感から命を断とうとする方は多いのではないでしょうか。

(令和4年 厚生労働省資料)

実際の自殺原因は統計データから下記の図のように複雑に絡みあった結果と推測されています。

米子さんが救われたのは、インコがきっかけで心に光が差し込んでいったと思います。孤独感、孤立感は心を病んでいきます。周囲にたくさんの人がいたところで自分を理解してくれる人がいないと感じることは雑踏の中の孤独として寂しさが増加するのだと思います。

心を岩の扉の中に封じ込めてしまうと孤独感は忍び寄ってきて皮膚の下に這い込みます。

人生を幸福にするのは「人」

信頼できる人がいるということはとても大切なこと、SNS上であってもいい。SNSよりもリアルに会えることにこしたことはない。

古い本でしたが、たまたま読みなおして感じたことを書かせてもらいました。

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