ロシアとウクライナ、イスラエルとイラン・パレスチナ、インドとパキスタン、中国と台湾等などあまり知られていない紛争もきっと他にあるのでしょう。

毎日、TV、新聞、ネットニュース、又は戦争している当事者たちがSNSを使って争いの情報を投稿している。自分の国さえよければいいという風潮に歯止めがかかっていない。
国ならずも個人もそのような傾向があるのかもしれない。
人は争うことが宿命なのか
人間の歴史が争いの歴史と言ってくらい争いの連続だったと思います。古代の時代に世界を征服するような国もいずれかは消滅しています。西暦をみてもわずか2,000年足らずの年月に世界大戦は2回もやっている。
紀元前でも多くに争いで多くの国が栄枯盛衰の状態です。グーグル検索で人間の争いの数を検索すると数万回ということで正確な数値は出てきません。

でも人間は争うことが宿命なんだと考えてしまうと寂しいものがあります。現実、人間世界は平和な時代より争いの時代が長いともされています。
なぜ争いが起こるのだろう
その要因は以下のようなことが考えられます。
- 恐れと不安
- 欲望と利権
- 「正義」への考え方の違い
まずは1.恐れと不安はやられる前に先に攻撃をする。これは国だけじゃなく個人も同じ。
イランが核ミサイル持ち前に攻撃してやっつける。でも味方のイスラエルが核ミサイル持っていても容認する。これは恐れ(不安)に違いないと思います。
そして2.欲望と利権。土地、権力の争い。自分の利益を侵害しようとするものは許さないという思考。さらには3.「正義」の違い。自分の宗教が正しい、自分の主義主張が正しい、自分たちの神が正しいと自分が、自分がの「我」の塊になる。自分の考え、主義、主張に固執し違う考えを排除しようとする。そして争う。
でも人間にはもう一つの力もある
それは「共感する力」「話し合う力」「許す力」「学ぶ力」があることで争いを回避する選択をできる力もあります。

でもこの素敵な力の発揮を争いの果てに持つのではなく争う前に持ちことができるように選択をすることだ思います。
映画の中でいがみ合っている人同士が殴りあいの果てに友人になるというシーンがあります。この殴り合う前に友人になるという選択を人間はなかなかできないのです。
かつてアメリカと日本は戦争し多くの犠牲者を出しました。戦争が終わり今やアメリカと日本は固い同盟国になっています。あの戦争を経験しなければ現在のような同盟国にはならなかったのではないでしょうか。
そう考えると国同士が争う決断をするのは国を動かす政治家です。その政治家を選択できるのは私たちです。
どのような人を政治家として選択するか。選択するための知識を持たなければいけないのです。
マスコミの評判だけで選択するのはいけないのではないでしょうか。
一市民が争いを止める力とは
知ること学ぶこと
無関心が一番よくないことだと思います。人の話を鵜呑みにしないこと、SNS、メディアはなおさらです。「それは本当なのか?」という視線を常に持つことが肝要です。

語り合う、聴き合う
対話をすることを常に心がけることが大切です。家族、親と子ども、近所の人、会社の同僚、先輩後輩等など話し合うという習慣を醸成することです。
偏見やヘイトを流さない
SNSで簡単に人を誹謗中傷できる昨今です。自分の意見が正しいと正義を振りかざすのではなく、人を非難したくなった時は思い留まることが大事です。自分の投稿したことが小さな声として上がり大きな声として膨れ上がる可能性もあるからです。
人は人を中傷することに快感を感じる帰来がありますので、その流れに乗らないことです。
支援や連帯の意思を示す
世界中には平和を望む個人、団体もたくさんあります。自分でしっかりと学び支援してもいいという団体には支援や連帯感を示すことが大切なことです。
まとめ
人間は争いが絶えない生き物であるからこそ、それを阻止しようとする考えを大切にしたいものと思います。争いが宿命ではなく、大事なのは「選択」なのです。争いを選択するのではなく「共感・平和」を選択することを心にとどめていけば争いは減っていくのではないでしょうか。