普段の「自業自得」(じごうじとく)の言葉の使い方は、自分の起こした行動が、あんまりよくない結果を招いた場合に、それは自業自得だよ!などと使っていますよね。
でもこの言葉は仏教からの言葉で、本来は少し意味が違うようです。
この普段使う自業自得は良い場合、悪い場合という設定があって、どちらかというと悪い場合に使われるんですけど、仏教ではどんな場合も自業自得という意味になります。
起きる出来事に良いも悪いも一切関係なく、それは自業自得だから起きることだといいます。
この言葉には仏教の根本である「因果応報」の原理原則から来ています。それは結果に応じた報いがくると意味です。今、目に前に起こっている事象(善いも悪いも)自分自身が行った結果が出ているのです。自業自得は自分の業(行為)の結果を自分が得ることを示します。
他人が起こしたことが自分自身に降りかかり、それは自分のせいじゃないということも一見あるかもしれません。しかし、必ずそこには自分の業があるのです。
事故にあったという場合、自分には落ち度がまったくないにも関わらず事故にあった。ということもあるでしょう。しかし、その事故にあう時刻にその場所に行ったのは自分なのです。そもそもその場所に行かなければ事故には合わない可能性が高いのです。その場所に行ったにはどんな理由があったのでしょう。
このように考えるとすべては因果応報、自業自得なのだということになります。