この話はお釈迦様の話です。
お釈迦様が弟子と歩いていたら
お釈迦様が道の脇に毒蛇がいるので噛みつかれないように気をつけろよと弟子に言いました。
弟子は「ハイ、心得ております」と去ったといいます。
この話を聴き及んだ農夫がその近隣を探したところ、道の脇から顔を出している金銀が入った袋を見つけました。
農夫は「どうしてこれが毒蛇なんだ!」「お釈迦様もおかしな人だと」と持ち帰ったそうです。
その農夫の生活は一変に派手になり、村の評判になってしまし、国の王様にまで話が伝わりました。
農夫は役人に召喚されて、問いただされたそうです。
農夫は白状しました。
役人は落ちていたものを横領するとは重罪に値いすると、死刑を宣告されたそうです。
死刑執行の日まで3日間の自宅待機を命じられた農夫は家族に語ったそうです。
「あ~まさにあれは毒蛇だった」
「自分がかみ殺さる羽目になり、家族にまでその被害を与えてしまった」
「平和に暮らしていることが幸せなのに、金銀が身を亡ぼすことになってしまった」と懺悔していたそうです。
王様は部下に農夫を見張らしていたので、その農夫の懺悔を聴き及んだ。
王様はその話を聴き、お釈迦様が話をしていたことを知り、王も金銀によって毒蛇の影響を受けてしまう場合であったと、考えて農夫を無罪放免した」
この話は金銀=財というものが身を豊かにするものでもあるけれど、身を亡ぼすものでもある表裏一体のものであるということ。
また金銀の財は一瞬一瞬の夢に等しいものであることを示唆している。
2023年6月2日の新聞に見た記事にこんなものがあった
ある小学校に足長おじさんならぬ足短おじさんを名乗る人から子供たちの笑顔にために使ってほしいと300万円を2回寄付してきた人がいる話です。
その足短おじさんを名乗る人は、永年働いたお金を役立ててほしいと寄付しているとのこと、どこのだれかはわからないそうです。
この二つの話から、お金は人を豊かにします、手にする人、手放す人、お互いが幸福感を感じるものであることがダイジだなと感じます。
その幸福感も一瞬なのです、いつまでも続きません。
寄付した人も、寄付したことを自分自身を誇りに思うでしょうし、見返りなどは求めてはいないいでしょうが、満足感をもっていると想像しています。
この毒蛇欲しさに人はさまざまなことをします。
一瞬の幸福感を感じたいが故にいろんな思いを巡らします。