人間の因襲について考えてみました

ものには慣性というものがあります。慣性とは動いているものが動き続けようとする性質のことです。

惰性といってもいいかもしれません、動き始めたものは何かしらの力が働かないと動き続けようとします。それを人間の行動でいうとルーチンで始めたことは毎日その行動を行うことで、同じ行動が当たり前となりテキパキとして動けばテキパキが続き、ダラダラと動くのがルーチンになるとダラダラが継続してしまいます。

行動だけでなく思考もその慣性に影響を受けてしまいます。人間に因襲があるのです。

どんな意味かといいますと同じような人ばかり、同じようなことを考え、同じような話をし、同じようなことを繰り返してやっていますと、非常に単調になります。

単調になると、これは人間の習慣性で生命精神が鈍くなってきます。また眠くなります、人間が眠くなると、ハツラツたる創造性を失ってきます。

因襲という言葉はなかなか意味がわかりづらいですね。

意味としては古くから社会で伝承された規範や慣習で、合理性や進歩的な観点から、その価値が疑われあるいは否定するようなことになります。

具体的な例としては
・結婚式は大安じゃなきゃいけない。
・病院やホテルの部屋番号に4や9を避ける。
・葬儀の時の清めの腫瘍などです。

しきたりや伝統、迷信などとも呼ばます。

村落や団体、あるいは一定の地域や出発、階層などで限られた範囲に使われます。

話は戻りますが、自分の中の因襲となってしまうものは、同じ仲間、同じ友人、同じ団体にだけ属していると、考え方や視野が狭くなってきます。

いい面もあるでしょうけど、その逆も少なくないような気がします。

簡単にいうとマンネリ!

マンネリを打破するには、自分を磨いて鋭くするということに尽きるではないかと思います。それには人徳のある人や友を求め、その人のそばに行き考え方を聞く。 

また、書物、動画などを積極的に実際に見て聞くということが大切なのではないかと思います。

そして会う機会を作り出すことではないかと思います。

さらにやったことのないことへの挑戦を怠らないことが大事ではないでしょうか。

一定の組織や団体に染まってしまうとその組織や団体の思考に染まり、コンプライアンスの逆行することを行っていても、それでいいと考えてしまう。組織のコンプライアンスを逸する事件が後を絶たない世の中です。

正しい情報を得て、いろんな意見や思考を学ぶ必要があると思います。

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