図書館で本を借りる
久しぶりに小説を読みたいと思い図書館へ行きました。図書館には本がたくさんありますが、なかなか選ぶことができません。書店ではお勧めの言葉やメッセージがあったりして購入するヒントになったり、モチベーションになったりするんですけども図書館にはそのような本のお勧めの言葉などのポップはありません。

一つ一つ手に取り開き、数行読んで面白いか面白くないかなどの判断もなかなかできません。ただ、文庫本には裏表紙に多少の筋書きがあるので、興味を持てるか判断材料になったりします。
このような理由で本1冊を選ぶのに2時間以上も費やしてしまいました。まして最近本を読むと言う行為から遠ざかっていただけになかなか選ぶことができませんでした。
最近は様々な映像コンテンツのサブスクがあり、費用も以前よりもかなり安くなっているために、サブスクを契約し、映像コンテンツに入り浸っていたのが現状です。映画は簡単にその映像の世界に引き込んでくれますので、読むという努力なしに楽しめるところが良いのですが、何やら想像力がだんだんと弱まっていくような気がしてならないのです。
本の活字を読むことによって目、そして脳にその活字を映像化する想像力イマジネーションが働いて、脳は活性化するように思うのですが、それがどんどん映像を見るということだけになってしまうと、なんだか脳が退化していくような気がしてならないのです。
それでも2時間かかりましたが、1冊を選択し借りてきました。面白いか面白くないか分かりませんが、久しぶりの読書です。楽しんで脳に刺激を与えたいと思っています。
そんなことで今回は読書と映像コンテンツを見ることでの脳の働きの違いについて本ブログは書いています。
読書と映像コンテンツを見る時の脳の働き

読書
読書をしているときの脳の働きとは、以下のようなことが考えられます。
視覚野、これは後頭葉の部分ですが文字を認識する部分になります。
言語野、ここは言葉の意味を理解し、文脈を考えたりする部分です。
前頭前野、ここは論理的に考えたり、想像したり、登場人物の気持ちを推測したりする部分になります。
海馬、ここは読んだ内容を記憶に留めようとする働きになります。
このように読書をすると言う事は、脳を多面的に使う総合運動をしてるようなものと考えられます。想像力、集中力、記憶力、倫理的思考など同時に働いて脳は活性化しますね。
では、映像コンテンツを見てる時はどうでしょうか?
映像コンテンツ
視覚野、聴覚野というところが働きます。これは映像そして音を受け取って処理する働きになります。
そして、報酬ドーパミン系ともいいますが、刺激などの受け快感を感じやすくなります。映像コンテンツは見るだけで情報が次々と入ってきますので受け身になりやすいんですね。そして映像は早いテンポで情報が流れていくので脳が深く考える時間を取りづらい状態です。このように考えますと読書と映像コンテンツを見ると言うことの違いは明らかにあると思います。
読書は総合運動している状態。映像コンテンツは体の一定部分を運動させているということの違いになるのではないでしょうか。
このように考えると、読書は広く脳の活性化を行うこと、そして人とのコミュニケーションをつかめるにも、様々な想像力を働かせることになるのではないでしょうか。
まとめ
昨今、無差別に人を襲うと言う刑事事件が発生している日本ですが、なんだか人の痛みを想像できない人が増えてきているような気がしてならないのです。

YouTubeの動画を見て正しくないことも鵜呑みにしてしまう傾向があります。流されているコンテンツが正しいものか正しくないのかも判断できない人が増えてきているような気がしてなりません。人の痛みを知るという事は、相手を思いやる気持ちに他ならないと思うのです。そう考えると今一度読書の大切さを見直したいなと思います。